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三星堆について
三星堆博物館は四川省の広漢市の西にあり、四川省の省都─成都より約40キロぐらいです。1997年8月にオープンされて、面積は約20ヘクタールで大体7000平方メートルで3000万ぐらいの人民元、日本円約5億ぐらいかかりました。国の新しい、大型の博物館の一つです。
目の前に見えるのは「人首鳥身」と言われているものです。これは木の枝の形をしていて、銅で作られたのです。最初蜀の国の王様(例えば柏灌、魚鳬、杜宇)はみんな鳥と関係があります。鳥は「図騰」というもので、つまり少数民族の印または自然の 神様。 祖先に崇拝されるものとしては蜀の国で代表的な意味があります。ここの全てのものは魂があり、人間は神様と心が通じている、天と人は一体に合わせたという意味を伝えて、要するに人間と神様はなんにより大事なものですよ。
この像は冠を掛け、人首鳥身(つまり人間の顔、鳥の身体)で、人間と神様を一つの身体に合わせた形は天に向かって翼を開いている鷹のような感じがします。鳥を民族の名前にしているのはいつか人間も鳥のように空で自由自在に飛べるならば何より幸せなことでしょう。天丼の鼠色は坑内の赤色と対照して、人類の文明の足跡と人類の明るい将来を十分に表しています。後には春のすえ、夏の始めごろ 成都平野の景色の写真です。ここの土地はここの人間を育ちました、ここの人間はここの素晴らしい歴史を造り出しました。
昔の人はなぜこんな立派な文明を造りだしたのか?昔蜀の国の王様は何の顔?昔蜀の国の町はなんの様子?これらの質問を持ちながら中に入りましょう…
これは三星堆博物館の全系図です。1988年国の重要文化財に指定され、総面積は12平方キロメートルです。東、西、南の方向にそれぞれ三つの城壁があって北は鴨の河が流れています。ここは約3000年前蜀の国の中心地つまり都として、面積は3平方メートルも越えたそうです。約3000年前こんな規模が大きな町が出来上がったのは全国でも僅かなことですよ!ご覧の通り三星堆と言うと要するに空にかけてある星みたい。この北はお月様とよく似ているので月亮弯と呼ばれているところ、その隣は馬牧河です。大昔からここの眺めは「三星伴月」と言われて、実は三星堆は世界を驚かせたのは二つの坑から発掘された文物です。この二つの坑は三星堆の南の所にあります。ここには古代の城壁が残留していて、東西の長さは約1600メートル、南北の広さは約2000メートル、高さは十数メートルほどあります。しかし、いつのものかだれもはっきりわかりませんが。一つの国と文明が生まれた時、建てられた町か?大型の宗教場所が設立されたか?その時青銅器が出来たのか?また文字が出たのか?発掘されたら、いろいろな答えが出てきました。三星堆の辺りにはたくさんの建物の遺跡、精緻な青銅器も見つかったが、文字は一つも見つかっていません。しかし今の見方で理解すれば、間違ったかもしれません。その時代のいろんな図案、例えば英文のX、Aのような形になっているものは本当に文字だとは言えませんか?三星堆にはこのような形をしているものは12個見つかりました。その時代の文字かどうか?まだ判明できないのですね。
ここに展示されているものは三星堆と同じな時期ごろ別の所で発掘された文物です。その時成都平野にはまた五つの古い町があります。つまり、新津県の宝敦、都江堰の芒城、温江県の魚鳬城、崇州の双河遺跡、卑県の古城遺跡です。そういう所にたくさんの文物が出土されていました。ご覧の通り、玉とか石とか鈴とかいろいろありますよ。(この二つの句はどういう関係?何を紹介する?わからない。)特にその時湿度が高いですからそれを避けるために二階建ての建物が出来ました。これは彝族の建物とよく似ていますけれども、下の一階は家畜を飼っていますが上の二階の所には人間が住んでいて昔の人も頭がいいでしょう。しかし昔家を建てるとき神様の保護を求めるため建てる前必ず活きている女性とか子供とか埋葬しなければならないだそうです。ですからここの二枚の写真はそのとき女性と子供の遺骨です。残酷ですけれどもその時の礼儀の一つですからしょうがないですね。ここの玉とか貝殻とか恐らくその時代のお金に当たるものでしょう、或いは女性の飾り物でしょう 。しかしその真ん中の隙間を造るのはいまの階段でもかなり難しい技術なのでどんな方法を使ってそれを造ったのかはっきりわかりません。
こういうような口が大きく尻が小さいものは「陶盆」、「陶罐」、「陶缸」と呼ばれ、恐らく昔食料品の入れ物だと思います。その時半分以上の食料品でお酒に作り、ここに出土された沢山のお酒の皿で証明できますね。瓶の高さは普通十センチぐらいで、ラッパの口で尻が平らにして中国の東北地方及び日本の杯とよく似ていますね。面白いのはこういう「陶工」と呼ばれているものです。高さは普通30センチぐらいで大体今の急須或いは薬罐に当たりますね、把手も付いているし流れも付けていますね。その把手を持ってお酒が杯に注いでいきます。下に三本の足があって中は空になって、入った酒の量を増やすし綺麗に見えるわけですね。しかもお酒を温める時にその下に火を付けてもいいですよ。
これは「陶觚」と呼ばれているものです。足の所は非常に小さくて、真ん中はちょっと太く、 上のほうは口が大きくて、お酒を醸造する道具だそうです。これは「尊」というものです。「尊」銅で造ったもので、簡単に日常用品だとは言えないですね。これらのものはその時お祭りを行うときお酒を盛る容器で非常に珍しいですよ。昔の儀式の用品だと言えますね。酒と言うものは世界の他の国と同じように飲み物ばかりではなく、人間の精神世界にも大きな影響を与えています。昔の占い師は沢山のお酒を飲んでから迷っている状態に入ってそれから作法しました。ですから昔酒は天と地、人間と神様との交流の手段になったと言えるでしょう。いまでもそうでしょう。お墓参りに行く時お酒を天にも地にも撒いて、祖先に奉げるという意味でしょう。三星堆の酒は何の味か、もちろん今は分からないですがきっとおいしいお酒だと思います。いま四川省のお酒はなぜこんなにおいしいですか?と言うとやっぱり3000年ぐらいの歴史があるわけですよ。お酒を醸造するのは食料品が必要で、この点では昔三星堆の農業も大変発達していたことがわかるでしょう。しかしいまでは農作の道具はまだ見つかっていません。そこには二つの推測があります。一つは発掘された場所は昔三星堆の町で、耕すことは恐らく町のなかでやるのは不可能でしょう。もう一つはここではたくさんの物がまだ発掘されていないで、たくさんの謎がまだ解明していないのです。三星堆にはまた漆器物の塊が見つかって、秦の時代まで蜀の国の漆器手作業はもう発達していて、漆器は色が鮮やかで、ものすごく素晴らしいのが説明できるでしょう。飾り物のなかにはまた虎の牙が見つかり、象牙も88本見つかりました。研究によってそれはアジアの象の牙です。その時気候が暑いですから恐らく象の数も多かったでしょう。またその時三星堆と言う国は強いので、他の国と商売をして、もらったプレゼントかもしれませんね。これは本当かどうかまだ一つの謎ですよ!
この丸いものは「石の壁」と言われています。その先の所には生き生きとしている鳥の彫刻もあり、昔天を祭る時使う物だそうです。これは大きい石から取ったものですね、でも大きい石をこんな小さい石にしたのはかなりの技術がないと出来ないことですよ、しかも真ん中は小さい孔を彫ったのですよ、ご存じのように石は普通硬度が強い、脆いものです、大体昔の人は青銅器の鋸でそれを引いてそれから砂に入れて磨いたのです。これで昔の人はかなりの技術を身に付けていることがわかるでしょう。
「玉の璋」というものは「三星堆の玉の代表」とも言われている物です。広さは25センチ 長さは1.59メートル、厚さはただ1.8センチだけです。こんなに長い、広いものは国内でただ一つしかないので玉の璋の王様と呼ばれています。三星堆から出土されたものはまた竹の葉っぱの剣、玉の槍、玉の斧、玉の藩、玉の斤と言うものがあり、殆ど日常用品ではなくて、礼儀の用品です。ほかにまた飾り物、兵器なども発見されました。
これは「高柄豆」と言われているものです。その時代にはそれで身分を示すものです。昔の人は皿を地面に置いて食事をするので、腰を曲げて皿を取りますね。しかし身分が高い人はその必要がないですよ。そのままで箸で取れます。これはこの高柄豆の役割です。基礎に枝が伸びて上に皿一つ乗せているのは取りやすいためです。三星堆から出土された高柄豆十数本あり、高さは大体45センチから70センチぐらいです。ここに並んでいるのは鈴ばかりで、いろいろな形になっていますね。その時代も風鈴ができたのは驚かせることで、恐らく占い師が作法するとき使うものでしょう。ここはまた鳥の鈴がありますね、また目玉の飾り物もいっぱいですね。昔の人は自分の目が鳥のように遠く見えるならばいいなあと思ったが、なかなかできないので、自分の希望をそれに託したかもしれません。一部のものは恐らく王様の目でしょう。この目玉はお祭りの時に掛けるそうです。その目はじっと見ている様子を見れば怖いと思うでしょう。
これは一号坑の模型です。上はちょっと大きくて、下はちょっと小さいです。下の長さは4メートルで広さは2.8メートル、深さは1.5メートルがあります。その中は又三本の坑道があります、品物の品と言う文字になっている。この中に出土された文物は合わせて400件あまり、数百枚の貝殻と約3立方の焼いた骨も見つかりました。埋葬するとき、順番で次々にその中に入れたのです、玉の石がさき、次は金の杖、それから仮面、缶、尊などの青銅器、最後は玉の璋と玉の などのものです。象牙は骨のごみの中に混雑していたのです。一部のものは回復できます。一部のものはできないというのは恐らく入れる前もう壊されてなかに入れていないと言うことでしょう。その金の杖はいまでは二階に保存されて、その形ははっきり見られますよ。これは一回宗教の活動が終わったら捨てたものだと推測されています。中の骨は動物のもので人間じゃない しかもその動物を首にして肢体を解いたのですよ!一号坑から出土された青銅器は約180件余りです。二号坑はここです。長方形の形で坑の下の長さは五メートル広さは2メートル深さは1.5メートルです。一号坑と同じように順番で次々に品物をその中に入れたのです、最初小型の青銅器、飾り物、玉の物 真ん中は青銅器ばっかり人間の仮面とか、神の木とか、まためちゃくちゃの玉、銅の尊とか、一番上の所には70枚もある象牙です。一号坑と同じように人間の壊れがあります。幸いなのは大型の文物は殆ど回復しました、分散されたものは大体800件余りあります。こんなに沢山の文物が出土されたのもびっくりすることでしょう、なぜここで集まって埋葬したのか?なぜ焼いた傷痕があるのか?何か集会のあとでやったのか?或いは戦争みたいなことが起こったのか?これは極めて大事なことです。研究によりますと一号坑は二号坑より約百年ぐらい早いです。 この辺りには蜀の王様のお墓があるから恐らくここが品物の置場でしょう。またこれは蜀の王様が使われたもので、そのまま埋葬したら失礼になって。だから焼いたあと埋めたのです。またいろいろな推測がありますが、わりあいに説得力があるのはここで宗教活動の残り物だという言い方です。二つの坑の方向は同じで、みんな北西で その方向はちょうど岷山山脈の一番高いところです。ここでは昔よく宗教の行事が行われているでしょう。
三星堆はまた沢山の青銅器を出土しました。大体昔の占い師と王様の顔つきです。中には唯一の女性の顔つきがあり、口はちょっと小さい目も鼻も大きいです。顔は丸く、綺麗でしょう。高さは25センチで、頭のうえにまた穴一つがありますね、それは冠をかぶるためです。優しい感じがしますね、昔、男尊女卑の世界ですから三星堆にはこの女性の顔つきが発見されたのはほんとうに珍しいですね。男の塑像はみんなきつい顔をしています。大体37メートルから45メートルぐらいの高さです。
二号坑から出土された仮面は44件あります。黄金の仮面は4件、みんなそれぞれ面白い顔をしています。特にその髪の編み方は同じなものがない、現在の女性よりもおしゃれだと思います。立っている姿は二つ見つかったですけれども、両手に持っているものはよく分からないですが、
三星堆はまた沢山の跪きものの青銅器を出土しました。いまの日本人の跪きの姿と同じ!びっくりでしょう、高さはただ14センチメートルだけです生き生きとしていますね。昔の人がおしえてもらたのでしょう。すべての塑像とか仮面に耳のあながあり、それは飾り物を掛けるためでしょう。仮面は大体二十枚ぐらい見つかりました。出土するとき口の隙間にまた赤いものが残っていて昔これは塗り物がついていることがわかりました。下敷きにする薄いものを使ったのです。高さはただ25センチメートルで広さは45センチメートルです。人間の顔とよく似ていますがちょっと大きくなって、大袈裟な作り方ですよ、ちょっと不思議なのは仮面の額とした顎また両側に四角い穴があることです。それはかなり硬度があって、何で刺し通したのでしょうか。穴の役割はは恐らくほかのものを仮面に入れるため或いはどこかに掛けるとき固定するでしょう。両足つきのスカードもちょっとおかしいですが、逆にしたらその図案はそれぞれ五匹の鷹が見えるわけ、特に鷹の口の爪が大袈裟な感じで、怖いほど尖って長いです。これは何のものか?どういうふうに置いたらいいか?みんな謎ですね。
そういうものはいったい人間か神様か鬼かよくわからないですね。もちろんいまの考え方でそれを理解するのは間違っています。おかしい獣は三種類で、それぞれ三つの物があるので、全部で九個です。これは神秘な数字です。きっと何かの考えが中に入っていると思いますがいま祖先を尊敬するため想像しないほうがいい。獣の仮面は出土するとき薄いです。口と鼻と耳のところに少し色が付いています。何の役割があるのかいままだわかりません。
これは三星堆の代表的なものです。縦目の仮面、高さはただ65センチメートルで広さは138センチメートルです。額の四角い穴には長さ68センチもある飾り物が入っています。二つの耳は大きくて、自然に両側へ広がっています。目玉は柱の形で外へ飛び出すように怖いです。その目玉の長さは16センチメートル程です。つまり縦目ですね。鷹のような鼻、すこしあけている口、ちょっとそとへ出している舌、前に伸びている下顎、いずれにしてもほかの青銅器と違い、もしその額に飾り物を入れて色彩を塗りなおしたら、なんと驚かされる芸術の作品でしょう。不思議ですね!これはだれですか?誰がこの三星堆の代表的なものになれますか?研究ではこの人間じゃない、鬼様じゃない、と言うものはもともと蜀の王様、蚕という神様です。ご覧のようにこんな凄い、長い目玉、大きい耳を持っている我々の祖先は何と威張っている様子でしょう、でも少し近づいて見たら、彼は微笑んでいるような感じて、なんと優しい顔つきでしょう、われわれの小さな目でその大きい目をじっと見る時、お互いに心の交流ができるような気がします。3000年の歴史は一瞬間に過ぎてしまい、時間はもう止まり、全てのことは言わなくてもいいですね。ここに置いたのはほかの子孫、弟子、兄弟を引き連れて何時までもここを抑えさせること、何時までも列を作って見学に来る人を歓迎しますと言う意味です。
これは神様の台と呼ばれているものです。この物からその時の様子が窺うでしょう。昔は生産レベルが非常に低くて、殆ど天に任せています。昔の人は世界のすべての物は魂があると考えています。人間は大自然と比べ、極弱いものです。大昔の神話伝説では天と地はもともと渾然に一体にして人間と神様は一緒に住んでいましたが、後世界は混乱になって、人間は自然との交流も止まり、自分を占い師に任せ、占い師に依頼するほかはなかったです。占い師も更にお祭りを通して、人間の精神を抑えるようにしていました。
これは神様の壇と呼ばれているものです。古蜀の国の思想を十分表しているものです。第一階は丸い置場と二つのおかしい獣です。おかしいと言いのは象の鼻、獣の耳、馬の啼(馬の足)、キリンと同じようにいろんな種類の動物を合わせた神秘な物です。第二階は丸い物と立っている人です、四人ですけど東西南北各方向に向かって、両手はこういうふうに交じってお礼をしています。頭にはその十という印があり、それは雷の指紋、或いは太陽の紋とも呼ばれています。袖が短い襟が対している着物を着て、上下、左右それぞれ火の紋が付いていて、足のところには目の図案があり、横の面の人間の像がある帽子を被って、モダンな姿ですね、しかし 手に握っているものは何ですか?木の枝ですか?それとも龍と蛇?我々はやっぱり龍と蛇だと思います。残念なのはその先のところは切れてしまいました。それも一つの謎になりました。青銅大立人と呼ばれている文物と同じように手に握っているものはあるか?もしあるんならばそれは何ですか?もしなければどうしてそのかっこうをしていますか?三星堆はいつもいろんな謎を残してもらえますね。第三階は山の形で四つの山が繋がって四角い形です。屋根がない建物です。三星堆のシンボル人首鳥身(つまり人間の顔、鳥の身体)その物は股ここで見つかったのです。人間と神様という主題はこの国の宝物の真ん中においてつまり最高の第三階の真ん中に於いてあります。顔が北にむかって翼を開き飛べそうな様子は昔の人は北を中心する考えを表しています。ご存じのように昔中国ではきたを中心しています、北の下は天下の中心です。物を作る神様、宇宙の神様、神話伝説の神様は普通皇帝だと言われていますがこの神の壜の真ん中にはいったいなんの神ですか?名前は何ですか?我々はよく分からないですが、そのとき、古蜀の人々が崇拝している神様だということは町がない、そして、四つの方向または上下、左右もみんな分けていますので、昔の人々はもう今日の人間の考え方とほぼ同じですよ!またそれぞれ20体の塑像があって神様の様子でみんな何か品物を手に握っているような気がします!恐らく璋みたいな物でしょう。
この神の壜と言われているものは考えが凄いで驚くほど目の前に現していますね,びっくりした我々にとって本当になんともいえないですよ!もともとその壜の高さは10センチメートルで広さは103センチメートルです、三星堆の三つの土台は昔の神の壜とも認められていますが年代が遠すぎてしまってもう昔のその顔が見られないですよ。周りの人間の像は三星堆から出土した小さな文物によって拡大して複製したのです。本物はただなんセンチだけですが見学に来る人はもっと詳しく見られるために6倍拡大して作り出したのです!置き方も十分考えて立体感がないと面白くないでしょう 皆さん これを見ると何かのご感想がありますか?やっぱり昔の壮大な場面が目の前に広がりましたね!
はい こちらへどうぞ、足元気を付けてください、これは三星堆の絶品とも言われている神の木で神樹ですね、元の物の3、5倍ぐらい拡大して作り出したものです。三つの部分からなっています。一つは座席、まるい形で、弓なりの三角形にしてまた何組の日傘が付いていて もちろん一つの神様の山を象徴しています。この山には天に通じている高い樹木を植えています。二番目のものは樹木です。この樹木は三階に分けています、それぞれ三本の枝があります。それをかけると九になり、三と九はまた出て神秘な感じがします、しかもこの木には九羽の鳥があります。頂上には壊れていますから、もう一羽の鳥があるかどうかちょっと判断しにくいですが、いま結論は頂上には何もない、空いていることです。全ての鳥は皆同じ、ただ口が大きいです。口の先は鷹のように鋭い、穴もあるのは恐らく その時何かの飾り物が掛けるためでしょう。この文物の三番目の物は龍です。縄の様なものですね、交じっているのは二匹の龍ですが頭はただ一つだけ、しかもちょっと長い、馬のような顔みたいですが、目が大きい、口の所と頭の所にはまた幾つかの穴が残っていて、その歯とか、角とか入れるためでしょう、前の手は樹木に乗って後ろの手は人間の手と同じですがちょっと大きい、仏様の手と同じみたい!いったい何の物かおかしいですね、思わず知らずみんなは疑問を出してもらえるでしょう。とにかく一匹の龍です。しかし何の役割がありますか?昔中国では一つの神話伝説があります。それに寄りますと昔三本の神の木があります。名前は東方の扶桑、中央の建木、西方の若木です。扶桑は東海の突き当たりの所に住んでいる太陽がお風呂に入る所の一本の木です。この木は全部で十個の太陽が住んでいますが、毎日海から出て一日が始まりました。ある日、十個の太陽が悪戯してみんな天に登りました、それで大変ですよ、この世界は熱くてたまらない、家とか、品物とか、みんな焼き払われてしまいました。その害を除くために後齲という人物は弓を射って九個の太陽を射り落ちてきて、後齲は英雄の一人になりました。また 都広と言われているところがあります、そこには建木という木が一本あります。ちょうど天と地の中央に立っていますから、天と地の真ん中だと謂われ、一部の神様はその木を通じて天に上り、地を下っていますからその木は天に登る梯子になりました。その木はまた枝が付いていて、花も果物もみんな実っています。そして龍と蛇も住んでいます。都広と言われているところは普通つまり成都だと認められています。西方の若木というところは普通都広の西にあり、扶桑の木と同じように全部で十個の太陽が住んでいてやっぱり神秘なところですよ。しかしこの三本の木は何を代表していますか?三星堆と何か連絡がありますか?昔中国神話伝説によりますと“金の鳥は西に落ち、玉の兎は東から昇り”という諺があります。金の鳥と玉の兎はみんな太陽の意味ですから、神の木に住んでいる鳥は勿論太陽のことです。もう一つの言い方はこの三本の木は昔の古人の世界観と宇宙観を代表しています、要するに昔の人は天が丸いです、地は四角いです。こんな広いところには何にも見えない、ただ 三つの印である三本の木だけ見られます。つまり天と地、またこの三本の木はこの世界の全てのものです。三星堆のこの神樹はこの三本の木となんと似ているでしょう、これはみんなが言われている宇宙の木ですよ!もう少し想像してください、科学技術が遅れている時代、毎日われわれは大自然に対面しています、何が見られますか?太陽ですね、太陽のお陰様で全てのものが成長してだんだん大きくなりました。人類でもそうでしょう、生命は太陽を離れたら生きられないでしょう、ですから太陽は全ての物の中心になっていますね、すべての神話伝説もみんな太陽から生まれたのです!三星堆のこの神樹は太陽を崇拝して出来た物です。でもこの神樹はこの三本の木とよく似ていますけれども、いったいこの三本の木の中のどの木ですか?東方の扶桑、西方の若木とよく似ているのは十個の太陽がありますから。また、中央の建木とも似ているのは昔の人はみんな自分が中心地に住んでいます。そういうふうに思っていますから、ちょうど成都もこの平原地代の真ん中にありますから、その古人の考えとぴったりあっています。そして三星堆のこの神樹が占い師と一緒に埋蔵しているのは占い師がよく使って、常に天に登ったり、下ったりしています。とにかくどの神樹でも古人の目から見るとみんなたましいと神様と天と通じていますから、勿論こういうふうに崇拝されるのもおかしくないでしょうね、結論として、三星堆のこの神樹は昔の人の考え方を表しました、昔の人が崇拝する太陽のことをも表しました。また、この神樹は日差しを測っていることもいうまでもないでしょうね、つまり時間の報告表ですね、
次は二階の絶品とも呼ばれている展示室に入ります、はい どうぞこちらへ、これは縦の目の青銅器の仮面ですね、広さは78センチ、高さは82センチ、その飾り物の高さは68センチです。鋳物のものですが、耳が十分両側に延べて、一番面白いものはその目ですよ 前に飛び出している部分は10センチもあります。鷹の鼻、舌も極めて大きい口からちょっと出して、顎もなるべく前に突き出て、出土されるとき、またすこし赤色が残っていて、威張っている様子ですよ!これは誰ですか?と言うと、大昔の蜀の王様蚕の化身だと言う人ですよ、いままでまだ悩んでいる謎は三星堆の目のことです、三星堆から出土された目の文物は数十種類があり、百個以上の数も達しています、とくに三角形とか、四角いとか、長方形とか、いろんな形になっています!これはもともとたましいの表しです、無数の神様が目を開けてこの世界をじっと見ていますね!そういうふうに思いません?目は心の窓だと言われています、なぜ人間の目は品物が見えるのか?昔の人はよく分からない、ですから目は神様からいただいたものでしょう、占い師からいただいたものでしょう。それに恵まれてわれわれはこの世界の全てのことが分かり、全ての秘密が分かりました。本当にありがとう、ね
はい、これは山を祭る山の璋と言われているもので大きいものですね、玉のものの絶品ですよ!二枚の図案からなっています、下の一枚と上の一枚は大体同じです。逆になっていますね、山と山の間に刀のような小さい図案があってお月様みたい、上の山と山の間には船みたいなもの、昔その時代はもう船ができたのか?或いは流木か?全然分からないんですね、面白いことはその人間の姿ですね?その下の三人は跪いていて、手はこういうふうにして、礼儀しているような気がします、その帽子はちょっと大袈裟につくられ、女性みたいですね。上の二人は立って、両手はこういうふうにして、返事しているような気がしますね、しかし跪くと立つことはもちろん違います。その二組の人間の身分はよく分かるでしょう。いま、謎として分からないことは例えば、この璋はなぜこんなに薄くつくったのか?脆いものをどういうふうにこんなに薄く作ったのか?また、上と下の間に繋がっているものは何ですか?かけているものは?いままだ分からない!恐らく穴から見るとそれは何処かにかけて山を祭るものでしょう。その璋は恐らく山の神様が持っている道具でしょう。
はい これを見てください、なんですか?当ててみてください、まあ 太陽輪と呼ばれているものです、大体二回にわけて作ったそうです、五つの星を前もって作り出した輪の中に入れてあと溶接したのです。というのは溶接するところには二つの口が付いていますから。太陽輪といわれているものはわが国の沢山の岩の絵から何回も見つかったことがありますが青銅器の太陽輪はただ三星堆しか出土されていないですから非常に珍しいですよ、青銅器に付いている太陽の図案、瀬戸物に付いている太陽の焼き物、また刀の上の丸い模様、いずれにしても昔三星堆の古い蜀の国の精神世界が目の前に広がりました。原始の宗教はその時代の社会を支配しています、その時人々は太陽を中心する神様を崇拝しています。人類の文明はこういうふうに始まったのです。もちろん、この太陽輪は昔お寺或いは何処かの土台の柱に掛けて人々に崇拝されているものです。ちょっとおかしいことはこの輪を平均的に五分に分けているものですね、むかしの数字はこんなに発達していますか?何の方法でそれを分けたのですか?完全な丸いものにするのはなんの道具を使ったのですか?それについてわれわれは呆然自失しますし頭が下がるしかないです。一部の学者はそれは太陽輪じゃない、車輪です。と言っているんですが、こんな大きいな車輪がある馬車は誰が乗っていますか?そのとき道があるでしょう、どのような道ですか?またいろんな質問も出てくるでしょう、いまの段階、われわれは本当に考えられないでしょう。ほかにこれは盾、或いは煎餅、あるいは民族のバッジみたいなもの、いろんな言い方がありますけれども、いまの研究によりますとやっぱり太陽輪に一番近いです。三星堆の古い太陽輪よ こんなに素晴らしい こんなにわれわれの心を驚かさせたのはやっぱり神様のお陰様でしょう。ね 三星堆の古い蜀の国の精神は何時までもという意味がないでしょうか?中華民族の精神も何時までもという意味もないでしょうか?
はい こちらへどうぞ これは青銅大立人と呼ばれているもので、高さは2.62メートル、人間の高さは1.72メートルです。三つの部分からなっています。土台、基礎、人間です。土台というのは地面の下に入れちゃった部分、基礎は四つの獣の頭からなっているものです。上を捧げている口は象の鼻みたい、龍とよく似ています。とにかくこの二つの部分は土台或いは神様の山です。人間の像は三枚の着物を重ねて着て、着物はいろんな龍の図案が付いていて、特に着物の下は自然に広がっていまの燕尾服とそっくり!腰の所には法帯という帯びを掛け、権力のシンボルですね、飾り物を掛けている足の下に裸足で、たっています。頭には冠をかけ、その冠は回紋桐冠と言われています。後ろには長方形の穴があり、昔、何かの入れ物があるはずです。冠の真ん中には丸い獣の図案があって、しかも 両手を大袈裟にこういうふうにして、礼儀ですし、または威張っている様子ですね、この3000年前の人の前に立って皆様は何かご感想がありますか?この偉い顔をしている王様に質問を出したいでしょう、お宅はだれ?いままで、我々はまだそれについて詳しく分からない、ただ一つの推測だけがあります。この像はそのときの王様あるいは大占い師のような人物でしょう、普通の庶民の目の中、この人は神様ですし、占い師です、または王様です。この国の最高クラスのボス、一番権力を持っている人物です。一番神秘なことはその手です。なにを持っていますか?皆さん 棕を持っている、杖を持っている、法筒と言う法器を持っている、いろんな言い方がありますけれども、何も持っていない空手を演じているという言い方もあります。しかし、研究者の話はやっぱり棕を持っているのは一番信じられます。と言うのは昔玉棕と言うものは天と地を祭るとき一番多く使っていた法器です。六の法器の一番目です、一号坑から出土されています。玉棕はそとは四角い、真ん中は丸い、天と地の譬えですね。それを持っているのは天と地に知らせることです。とにかく この青銅の大立人は観光客にいろんな想像させるべきなことをのこしています、恐らく近い将来この三星堆の青銅の大立人の謎が解けられるでしょう、
はい こちらへどうぞ 三星堆から出土された蛇と龍の文物です、それぞれ、蛇の残りは55センチ、35センチぐらいあります、この二匹の蛇の作り方は鋳物の特別方法で大体同じです。鰐の頭のようにちょっと上がっている首から見ると毒蛇みたいですね、太い体をしているのは大蛇(だいじゃ)だと思います。四角い紋様が付いていて、また翼を付けて、いよいよ飛べそうな様子は龍に変わっていることを表しています、お腹に鈴みたいなものがあって、何処かに掛けてお祭りを行う時使うものでしょう。はいこれは龍の柱の器です。高さは41センチで、上に乗っているものは羊の神様だと呼ばれています。ただ 一つだけで何処かに置くわけじゃないだと思います、何かの品物に付いていると思いますね、いまの段階はまだ分からない。はいこれは龍の頭ですね、神様の本の上に付いている龍の頭ですよ、三星堆は全部で8本の神樹を見つかりましたが。壊れすぎるものばかりですから修復するのはなかなか難しい。はいこちらに展示している蛇と龍の文物は見学に来る人にこの二つの動物の関係を語っています。特に龍の歴史、伝説などについて詳しく説明しています。
はい、こちらへどうぞ これは青銅の尊を乗せる像です。高さは15メートルです。これは三星堆のなかでも非常に珍しいもので、と言うのは殆ど壊れていないものです、山と尊、その間に挟まれている人間、一つの物語を語っています。大昔女性の神様が山の上に上がって、天に崇拝しています。女性と言うのはそこに乳房の印があるでしょう。ね、はいこれは象の頭の冠の像です、残念なのはただ半分だけ残っています。象の頭というのはその頭は象とよく似ていますから、その神様の壜としたの獣とよく似ています、ただ本当の動物じゃない、いろんな動物を合わせてできたものです、現在のキリンと同じみんな 想像的なものです。ほら その両手を見てください。青銅の大立人とよくにていますけど、ただ、ちょっと違うのは右の手です。親指はほかの四本の指と繋がっていないアーチの形になって、きっと、何かの丸いものを持っているはずです。この像は厳しい顔をしていて、古蜀の人に崇拝されている神様の一つです。
はい、これを見てください、ただ半分だけ残っている半身の像です。さっきの上半身の神様の代わりにこれは上の半身がなくなりました。いうまでもない、上の半身がどこかに捨ててしまって、坑内(こうない)に入れていない、ヨーロッパのウイナスと同じ人間に残っている想像は多いでしょう、人首鳥身の像或いは鳥の首 人の身はまたここで見つかりました、不思議ですね、もし 人間の像があったら 少なくとも1メートル以上もあると思います。でもこの像の高さは上の部分は31センチ、下は50センチです、出土されるとき色彩が付いていてもともとはいろつきのものですね、上の人間はミニスカードを着て、そのあしは力持ち、鷹のように下の鳥の頭をつかんでいる、鳥の塑像は抽象的(ちゅうしょうてき)で、形も変わっていて、首も長すぎて蛇と龍の形と似ています、活き活きとしていますね、恐らくあの時の人間はどうしても天に登りたい、自分が翼がないですから、鳥の翼を借りるより仕方がない。昔の人は飛べたいという考えを十分表していますね。
はい これを見てください これは三星堆から出土された一番大きい鳥の頭で高さは40センチ、最初見つかった時は少し色残りで昔やっぱり色彩のものですね、もし全体を作ったらどんな大きい鳥でしょう。でも口から見ると鷹みたいです。いくつかの穴が付いているのは何処かにかけてお祭りを行う時使うものですね、これもやっぱり昔のトーテム(図騰)を表しているものです。大昔の蜀の王様はみんな鳥と関係があるわけ、魚鳬とか柏灌とか、そうですね これは蜀の王様の代表 印です。そして三星堆から出土された鳥の形の把手も多いです。あのごろ魚鳬の時代は強かったですよ、と言うのはいまの中原地帯もよく似ているものも見つかりました。あのごろ魚鳬の時代の国境はもうそこまで達していることが分かりました。あるいは魚鳬の時代が終ってから、生き残した人は中原地帯に引っ越し、続けて暮らしてきました。このものを見てください 口を閉めて、目を大きくして、力持ちの首をしっかり延びて、その時代の全ての精霊(せいれい)を引き連れて自由自在に飛んでいるよう、また、その時代の人は粘り強い精神、自然に負けずに頑張っていることをも十分表しています。この鳥の頭の像はまた現在の航空会社の印とそっくり!歴史はこんなに似ている、歴史はこんなに同じ、我々は本当に驚かされるしかないですね。歴史のまえに我々は何時までも小さいもの、何時までも頭が下がるしかないでしょう 皆さん そう思いませんか?
最後に金の仮面の展示室へ行きましょう、三星堆から出土された金の仮面は全部で五件、一号坑は一件、二号坑は四件、それぞれ平らの頭とまるい頭をしています。大きさは大体ほんにんと同じです。金の面は金の皮で ハンマで叩いてからできたものです。あのごろ金のものがあったのはおかしくない というのは金の溶解がそんなに高い温度じゃなくてもいいですよ、青銅より金は解きやすいですから。鉄と違いまして鉄の溶解の温度は高いです。ね しかし仮面の上にまた重ねてもう一枚の金の仮面を掛けるのはなぜですか?やっぱりほかのものと区別があって、兵隊のなかのボス、部落のなかの偉い人、或いは王様、或いは貴族の人?いままだ判明していないですが。とにかく大したものですね
はい こちらへ これを見てください、金の杖です、直径は2.3メートルで、長さは1.40メートルです、重さは約500グラムです。一号坑から出土されたもので、中身は木一本入っています。昔の話によりますと杖は権力の印の一つ、王様或いは占い師もみんな作法する時それを使うものです、三星堆から出土された金の杖があるのは あのごろ 王様と占い師、皇帝みたいな身分が高い人はすでに出てきました、国の特徴の一つとしているこれらの人々はもうこのあたりを抑えています。もちろん、中国の歴史を大体500年或いは1000年をも前に進めました。偉いでしょうね
またこの図案をご覧ください、この上には人間の顔があって微笑んでいますね、この下は一本の箭で鳥の頭と魚を刺している図案ですね、なんの意味ですか?多分魚鳬の時代の説明でしょう、魚と鳬はもともと二つの部落の名前です、魚と鳬は崇拝されるトーテムです、箭でそれを刺したのは何かの王様、或いは占い師の力でこのあたりを抑えていることを表しています。恐らくそうですが、本当の意味はもちろん分からないですよ。もう一つの言い方はそれは箭じゃない、麦の図案です、あのあとの農業がもう発達しています。庶民の生活が豊で何でもあることを表明しています。どうですか?皆さん分からないですね。謎いっぱいの三星堆ですね
はい 一応三星堆の見学は終りましたが 三星堆は我々に残ったものは何時までも終われない、何時までもその答案を求めるため我々は頑張れなければならない。
三星堆の見つかり:1929年、燕道誠と言う現地の農民が現地で溝を掘るとき、気が付いていないうちに見つかったのです。最初 ただ一つだけの玉の輪をもらったんですけど、ほかの人に知らせないため、元のままに埋め戻しましたが、夜の時四人の息子を連れてもういったい掘りはじめ、大体400件をもまた見つかりました。自分の家の回りに埋めて黙って一年も待ちました。何にもなかったですから、それを持っていて成都に出掛けました。そのときちょうどイギリスの神父(しんぷ)がそれを聞いてびっくりしました、すぐ 現地の軍閥と相談して燕道誠の家へ尋ねて行きまして、すべての文物を買い取りました。それから ずっと80年代まで十数回の発掘をもやりましたがただ数百件の瀬戸物だけを見つかったですけれども、そんなに驚くほどの物がない。1986年の七月と八月つぎつぎに三星堆のところで一号坑と二号坑が見つかり、世界を驚かしたものばっかり見つかりました。発掘の現場は煉瓦作りの工場です、そこの土台の土を取るとき、たくさんの玉の璋を見て現地の人はすぐ政府に報告しました。それで文物を管理する人々はすぐ来てそれを大事にしました。それで今日のいろいろな素晴らしいものが見られる訳ですよ、 そのときからいままでただ20年だけですから、研究もまだまだですよ、歴史のものは簡単に結論を出してはいけないだと思います。と言うのは全ての結論は証明が必要、しかしご存じのように三星堆には文字がない、文字がないとその時代の物は何ですか分からないです、ほかのところにも三星堆に付いての記録もない、がっかりましたね、証明できないものはこうですそうですとは言えないでしょう。だから我々は説明する時もきっととか必ずとか と言うような言葉があんまり使えなかったですよ、もちろん これから研究に伴っていろいろな謎が解けるはずですよ、その時またいらしゃってください。
三星堆についてのはなし:文化:三星堆の瀬戸物は岷江の上流の新たな石の時代と関係があります。三星堆の鳥の把手は山東の龍山の文化と関係があって、川に逆上ってあるところから貰ったものです。三星堆の文化は現地の部落の文化と外来の文化と合流してできたものです。 三星堆の庶民:羌族の言い方、僕(ぼく)人の言い方、巴人の言い方、東夷(い)の言い方、越人の言い方、いろいろあります。わりと信じられるのは低の族です。いまの羌族の祖先です。 三星堆の政権と宗教:軍事の連盟(れんめい)の一つです。北のどこかの政権に属しています。二番目は国の一つです。しかも わりと独立している国です。神様の権力と鬼様、占い師の権力も入っている国の一つです。トーテムがある?ない?あるいは自然を崇拝、人間を崇拝?沢山の人は自然とも、神様とも、鬼様でも、人間ともみんな崇拝している総合的な宗教を崇拝している国です。 三星堆の青銅器:自分の国で生まれたもの、またはまわりの国に影響を受けて作ったものです。そのとき 三星堆という国は対外に交流することがありますか?あればどの国?どういうふうに交流しているのか?普通 回りの国と交流がありますが、ほとんど自分で作ったのだと思います、三星堆という国は何時生まれたのか?何時滅びてしまったのか?いまの段階は分からない。普通の見方は杜宇の王朝或いは蜀の開明王朝のとき始め、一番信じられるのは魚鳬の時代のときから始まったんです。立国の時間は千年以上、何代の蜀の王様とも関係があります。絶滅は政権の代わりのせいです。そのあと蜀の中心は成都に移りました。これは今の普通の見方です、二つの坑は商の時代と同じあるいはちょっと遅い時代のもの、しかし一号坑は二号坑より百年はやいです。みな なにかのお祭りを行ってから壊してできたものです。そのとき自然を崇拝するのは一番流行っているでしょう。もう一つは政権の代わりのせいで国を開くため宗教の行動を行ってからその礼儀の器などを壊して捨てられた物です。
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