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四川省の少数民族について
四川省は少数民族が集まっている所で、漢民族のほかに人数は5000人以上の少数民族はチベット、羌族、彝族、回族なとがあります。四川省には全国では最大の彝族の居留地,二番目人口が多いチベット族の居留地、唯一の羌族の居留地があります。四川省の少数民族の総人口は570万で、総人口の7%を占めています。
チベット族:歴史が長い、勤勉で勇ましい少数民族の一つで、昔から、博、博巴と謂われているが、違う所に住んでいる人を呼ぶ言い方がそれぞれ違います。例えば、四川省の西側とチベットの東に住んでいるチベット族は康巴(カンバ)、四川省の北西と甘肃省、青海の牧場に住んでいる人は安多哇(アンドワア)。四川省のアバ州の南部とカンシ州の東の牧場に住んでいる人は“ゴリン”、ジアゾオン、と呼ばれでいます。総人口は108.8万主に四川省の北西と西部に分布しています。
書籍の記載によりますとチベット族の祖先は大昔からヤルザアンブ川の辺りで働いていました。新石器と旧石器の時代、今のチベットの辺りにはもう人類の活動がありました。約2000年前の漢の時代、四川省の北西部と西部には古い羌族の部落が住んでいましたが、紀元七世紀ごろ、チベット族の山南地区のイヤロンと言う部落はスオンズアガンブと言うボスの引き連れで、ほかの部落を抑えてその辺りを統一しました。トウフアの政権を建てて、勢力範囲は四川省の西側までも延びて来ました。トウフアの抑えのお蔭で、もともとこの辺りに住んでいた古い羌族の部落がだんだん合流され、今の四川省のチベット族になりました。チベット族は自分の正式な言葉があるばかりでなく、方言も三つのところにあります。文字は紀元七世紀ごろ、サンスクリット(FAN、インドの古い言葉)文を参考にして、作り出した表音文字です。書道として、楷書と草書に分けています。チベット族の祖先は昔これらの文字でたくさんの本を書きまして、チベット族の歴史を記述するのに力を尽くしました。
チベット族の人は普通チベットの仏教、つまりラマ教を信じています。ラマ教はレンマ─紅教、ゴジ─白教、スアジヤア─花教、ゴル─黄教、この四つの流派に分けられています。仏教はチベットに伝わる前、チベット族は現地の原始の宗教を信じていしましたが、ラマ教は世界と違う仏教の制度を実行しています。つまり、生きている仏様の制度をやっています。ダライラマとバンツアラマはゴル黄教の生きている仏教徒の名前です。時間の経つとともに生きている仏様がもし亡くなりましたら、すぐ新しい、生きている仏様を捜して、それから、生きている仏様がまた誕生したのです。
チベット族の仏教:つまりチベット族のラマ教はチベット族にさまざまの影響をもたらして来ました。チベットのお寺は宗教の場所だけじゃなく、また、チベットの宗教、文化、教育、芸術のセンタですよ。チベット族の人々はラマ教を心の寄托つまり(願い)として深く信じています。朝から夜まで、お経を読んだり、仏様に拝んだりしています。中には必ず仏壇を設けて、仏様を祭っています。建物の前と後ろ、必ず经幡(ジフン)を掛けます。道の側と山の峠の所に必ず仏の塔を建て、石を積みあげています。そうしたら仏様に頼んで家の安全とか、順調とか健康とかいろいろの願いを伝えています。もし、皆様はラサへ行ったら、大昭寺と謂うお寺の前に沢山の人々がそこで三叩九拝している姿が見られます。世界の屋根と言われているチベットに宗教は第一ですよ。恐らく世界のすべての処にチベット族のような宗教を信じている人がいないと思いますよ。誠心誠意仏様を崇拝しないと大変失礼のことですし、冗談じゃないですよ。
チベット族の婚姻の制度は大体一夫一妻です。昔の人々は結婚する前、割と自由ですが、結婚する権力は奴隷のボスに任せています。女性は財産を受付の権力がない、男の方は財産を受けついでいます。子供がなければ娘の婿に伝わってもいいですが、奴隷のボスの許可をもらわなければならなりません。チベット族の人々は名前があったけれども、名字がなかったのです。昔の日本と同じように奴隷のボスの名前を取って何番目をつけて自分の名前にしています。今はもちろん自由になりましたから、名前とか、名字とか何でも自分が好きなことをやってもいいですよ。婚姻は今までほんとに 自由ですよ。
チベット族の食事はチンコウ麦を主食して、牛肉、羊の肉、ヨクルド、ミルクの食べ物も好きで、野菜と調味料は少ないです。ザンバとソユウのお茶はチベット族に好まれる食べ物です。ザンバを食べる時、必ずバタを漬けなければならなりません。ソユウのお茶はチベット族の日常生活中で欠かせない物です。作り方は出来た煉瓦の形のお茶と塩、またはソユウを桶みたいな丸いものの中に入れて十分かき回して水とクリムを一緒になっている状態の時、出来上がった物ですから、美味しくてたまらなりません。お客さんが来るとき、チベット族の人は必ずソユウ茶を出します。お客さんが沢山飲んだら、相手の方が大変喜びます。
チベット族の住宅は普通、太陽向け、山の高いところと水より近いところに置いてあります。土木建築の物が多い、大体三階建ての建物です。一階には家畜を飼って、真ん中は人間の住み所で、一番上はお経の置き場と物を貯蔵するところです。羊を飼う人はヤクの皮で作ったテントに住み、牧場に冬を越える建物もあります。
チベット族の服装は普通、男性の上着は袖が長い、襟が大きいオーバーを掛け、長いズボンを穿いて、しかもズボンを靴の中に入れて、威風堂々な感じですよ。婦人さんの衣服はちょっとややこしい、下着と上着のほかにスカート或はズボンを穿いています。上着の中に背広を掛け、また、帯で糸を腰に掛け、色彩の前掛けをして、いつも働いているイメージを人々に与えています。チベット族の服装の飾りは非常に華やかで、ペンダント、耳輪、腕輪、指輪などの飾り物はみんなで体につけて、腰にはまた宝物を掛け、それらの物は百万以上の価値がありますから、常に百万老者と呼ばれでいます。
チベット族の新年のお祭りはチベット族の旧暦で行われています。チベット族の旧暦が始まったに各家はみんなきれいに掃除して、新しい物を家の至る所にいっぱい飾って、仏壇の前に五穀の茶碗を置きます。入り口にはソユウ塗りの羊の頭の骨を掛けて、来年風も雨も順調できるように祈っています。最初の日に、各家の主婦は川の方へ行って、吉祥の水を家まで取ります。家族の方々はみんな新しい着物をきいて、お互いに祝いを交わしています。翌日は近くの親戚、或は友たちの家を尋ね、お互いにお祝いの挨拶をして楽しく過ごします。そのあど、相撲、綱引き、競馬、矢を射る、チベット族の劇を演じ、踊りなどの活動が行なわれます。四月の八日はお釈迦様の誕生日ですから毎年その時カンシ州の康定のパアオーマーという山の所で伝統的なお祭りが行われています。その時、人々は各地から殺到してきて、おいしいお酒と食べ物を取り出して、飲んだり、食べたり、踊ったりします。その後また山の頂上の辺りを廻って、仏様に来年も続けて幸せを賜ってくださるよう願っています。そのほかにいろいろなスポーツも行われます。「スワアーバアーズー」と言うのはチベット族の伝統的な習慣の一つです。日本のお花見のように、春、秋ごろ、天気がいい時、家族の全員そろって郊外へ行って、ビニールを敷いて座って、飲みながら楽しく話し合っています。
チベット族は礼儀正しい少数民族の一つです。お客さんを迎える時、必ず両手を併せて、先輩、友たちと会う時、みんな腰を曲げてお礼をします。貴賓が訪れてくれた時「ハター」を相手に差し上げ、尊敬する意味を表します。ハターと言うものはシルク製品で、色は白いのが多くて、赤色、黄色、水色もあり、お祭り、祝日などに欠かせないものとして使われています。また友たちと別れる時、チンコウ麦を持ち上げて、歌を歌って道中無事で行けるように祈ります。
チベット族は偉い文明を持っている民族です。チベット族の文字で書いた本は数えきれないほど多い、デイーコウ印刷学院に出版された古い本は大藏のお経という本のほかに、天文、地理、歴史、哲学などの、あるべきなものはみんなあります。併せて320部、4500余りの種類、文字も3億ほど達しています。
文学の作品では「グサオー」と言う本は一番有名です。この本に約千年前、中国の唐の時代、グサオーと言う王様は自分の部落を守るため一生懸命頑張って、死ぬまで戦った物語を述べています。この物語は詩で述べていますから、世界でも今まで伝わってきた唯一の長い叙事詩ですよ。そのほか、文成公主とスオンーザアンーガンブと言う物語も世間に知られています。漢民族の文成公主は平和のためにチベットへ行って、現地の王様スオンーザアンーガンブと結婚して、漢族とチベット族の間に交流の掛け橋になっていました。また、ユーモアーなアゴトンの物語と意味深い<<御茶と塩>>と言う本があります。
チベットの建物、絵、彫刻は皆独特な風格があり、技巧に凝らしている芸術品です。お寺は特に素晴らしい、普通その頂上は銅や金など光っている金属で作られ、塔とか、獣とかなどの吉祥のものを飾り、凄くりっぱです。殿の中には巧みを凝らす棟木、絵つき、彫刻つきの柱、屋根は二三階ほど重ねていてたいしたもんですよ。楼閣には壁画、木彫り、石刻があって、いずれにしても、チベット族の知恵の結晶だと言えるでしょう。そのほかに、チベット族の人々は「タンカー」という掛け軸みたいな物を作るのが得意です。「タンカー」はチベット族の独特な工芸品で刺繍、錦織、花針、真珠で作られ、主にチベット族の宗教と民族の生活の様子を描いています。
チベット族の人々はだれでも歌も踊りも上手ですよ。高原地帯に長く住んでいるので、声は空を透るように高く、変わりも多いて、音色が素晴らしいです。踊りは音楽のリズムに合って力持ちの踊り方でちゃらんとちゃらんと音をして面白いですね、もしそのショーに参加すれば教えてもらいます。またお寺の音楽にはラッパ、ドラ、しょう「笙」、太鼓などが使われ、穏やかな感じのメロデイーが流れてきます。チベット族の劇も詩、歌、踊り、楽器などの特色を合わせて出来た芸術の作品ですから、700年以来、人々に喜ばれています。
羌族:羌族は中国の少数民族の中で歴史が一番長い民族の一つで、アイーマーともいい、現地の人と言う意味です。羌族は今ほとんど岷江流域に住んでいて、九寨沟へ行く途中で、人口は大体20万ぐらいです。チベット族と漢民族と一緒に住んで仲良くしています。
羌族の歴史は今から遡ると大体3000年ぐらいです。殷の時代甲骨文の中にそれに関する記録がありました。秦の始皇帝の時から、羌族の祖先はもうここに住み始めました。唐の時代、一部のはチベット族と漢民族の土地に移住して、同化されましたが、大部分の羌族の人は岷江流域の上流に引っ越してきて、その時からずっとそこに住んできました。元々の遊牧の生活様式も変わって、農牧民になりました。羌族は自分の喋っている言葉がありますが、文字がないです。言葉は羌族が住んでいるところから見ると南北の二つの方言に分けて中国語とチベットの言葉とよく似ています。
羌族は世界の万物は魂があり、それぞれの神様は無限の力を持っていて、人と家畜の安全、植物の収穫、更に民族の発展などのものを決めているから、羌族の宗教活動の主な内容は魔除け、神様を崇拝することです。そして、白い石を神様だと認めて、山の上と屋根又は塔の中に置いて崇拝しています。なぜかというと、むかし、羌族はこっちに引越しする時、天の神様の指導のお蔭様で白い石で敵を打ち破れたことがありますから、白い石が最高の守りの神様になりまして、ずっと崇拝されています。
羌族は普通一夫一妻の婚姻制度を実行していますが、結婚することはほとんど親に任せています。女性の身分は低いです。結婚する男女は普通女性が男より大きい、新婚してから普通女性は自分の家に1年或は三年ぐらい暮らして、それから、男と一緒に生活します。今遅れた制度はもうだんだん取り外されて、男女の恋愛は自由になりますよ。
羌族の服装は素朴できれいで、しかも華やかです。男性と女性も普通麻で編んだ着物をかけ、外側は羊の皮で作った胴着を重ね、青いハンカチと白い頭巾を頭に、ゲートルを巻いて(つまり、ズボンの口のところを小さい布ひもで足に巻きつけること)、花つきのひもを掛け、紐に刀と皮の袋と鎌などの物を掛けています。半分以上のひとは藁靴履き、そのほか、布靴と皮靴を履くます。 お祭りの時、イユウンーイユウンーハイという靴を履きます。イユウンーイユウンーハイという靴はつまり、花の飾り物があって、その先は船みたい、すこし上につま立てて、靴の両側に色彩の雲の紋様がありますから、イユウンーイユウンーハイと呼ばれています。羌族の女性の服装は色が非常に鮮やかで、着物、ズボン、襟、袖、どこにも綺麗な刺繍の花模様があります。梅の花の銀の飾り物が好きですし、耳輪、腕輪、簪も大好きです。
羌族の主食は玉蜀黍とジャガイモです。玉蜀黍のお粥と玉蜀黍の蒸し物、または焼き面(炒める麺類)は代表的な食べ物として、喜ばれています。ズウービアオーロウとザージユーは民族の特色がある食品です。ズウービアオーロウは冬の時、豚を首してから、内臓を取り除いたあと、唯肉だけ微塵切りにして、ちょっと美味しい汁を塗りつけてから、そのまま干されて出来たものです。その肉は白身は透明で赤肉の色は鮮やか、美味しくてたまりません。お客さんが来るとき必ず招待する上品なものです。ズウービアオーロウの貯蔵量はそのその家庭の豊かさを見積もる基準になっています。ズウービアオーロウは千年ぐらいの歴史があり、羌族の人々が一番好きな飲み物です。チンコウ麦、小麦などの食料品が発酵されて出来たものです。飲むとき、壇を開けてから御湯を中に注いでストロで順番に飲みます。結婚式、お葬式の時、お客さんが来るとき、必ず用意しなければならない飲み物で、一番民族の風味がある物ですよ。
羌族は素晴らしい建築の芸術で世界に知られています。これらの建物はデイアオーレロー、ズアンーフアン、ソーチアオーなどを含めています。デイアオーレローは建物、つまり羌族の人々は石で積み立てた二、三建ての建物です。木一本で作り出した鋸みたいな梯子で上がったり下ったりしています。一階は家畜の飼育、二階は人間が活動する場所、台所とか、床の間とか、応接間とか、みんな二階にあります。3階は平らな形になって、品物を干すところです。スタンドとしても使われています。デイアオーレローは四角、六角、また八角の物、この三種類に分けていますが、高さは普通五メートル或は十メートル以上です。地震がよく起こる現地にはこれがたいした物ですよ。しかも現地は風が強いですよ。一番強い風は七、八クラス以上!それでも崩れない、平気ですよ。不思議でしょうか。デイアオーレローの表面は滑り、壁と柱は丈夫で、構造は巧みでバランスをよく取っています。この建築は主に戦争が起こる時使われます。なぜかというと、昔この辺りの治安は乱れていますから、人々は唯攻めにくい、守りやすいデイアオーレローだけを作って自分で家を守っていました。人々はこの近くの山の硬い石と粘りがある黄色い泥で家を建てて、その時は精密な道具はなかったので、建てる時ほとんど経験と目に任せています。2000年前の后漢書という本にもこれについての記録があります。川の側と山の上、平らの所と凸凹のところ目に入っている、これらの建物は古い建物の博物館みたい、羌族の人々の頭がいいということを表しています。
羌族のもっとも大事なお祭りの日付けは羌族の旧暦つまり漢民族の十月の一日です、ちょうど、秋ごろ収穫が終わり、村の人々はみんなその時、働かないで家に帰ります。豚と羊の首をはねるとか、水ギョウザを蒸すとか、ズウービアオーロウを煮るとか、そうして祖先を祭って、神様を崇拝します。人々は鮮やかな着物を着て、ドラと太鼓、銅の鈴と笛などの楽器の伴奏に合わせて歌を歌ったり、お酒を飲んだり、楽しく踊っています。その踊りは現地の人々がサランと呼ばれています。そして、皆は群を成して、各家へ行って夜中まで祝いを送ります。ある所でははまた鎧を掛けて、踊ります。もちろん、その時白い石を持ちながら、天に向かって、呪いの文句を念じます。今年も順調で無事で行けるように祈ります。羌族のもう一つのお祭りは歌の祭りです。ほとんど女性が参加していますから、婦人デイーとも言われています。これは主に羌族の歌の神様サランを記念するためです。その時、女性たちはみんな綺麗な着物を着て、飾り物を掛けて、山の所でお互いに歌を歌います。今男性も一緒にやっています。この祭りは普通春の時行います。大体三日間ぐらいです。また羌族は山を祭るお祭りもあります。年間はそれぞれ三回ぐらいやっています。旧暦のお正月と五月、十月に行なわれます。その祭りはほとんど男性が参加します。村の近くの白い石がある山で占い師の主催によって行われます。その祭りのとき、石で積みあげた塔とか、山とか、神様みたいな木とかみんな高いところに置きます。皆は占い師の指導で一緒に呪いの句を歌い、また、家畜などの首をはねて天に差し上げる気持ちを表します。
羌族は親孝行の伝統的な風習があります。羌族は年配の人、知恵がある、功績がある年長者を尊敬しています。ズアージユーを飲む時、必ず年配者が先にお祝いの言葉を喋ってから、年齢の順で回ってお酒を飲みます。年長者は家に入れる時、若い人は必ず立ち上がって迎えなければならなりません。宴会の時、お客さんと年寄りは必ず上席に座ります。もし馬に乗っている時、年寄りと会ったら、必ず馬を降りて拝礼します。集まりの時、必ず、年寄りの人で、おんとうを取ります(リダーすること、先に)。そして羌族はまたお互いに助け合う伝統があります。たれかが家を建てる時、隣の人々はみんな一緒に力を尽くして、手を出します。忙しい時、村の年寄りは時々皆の子供の世話をして、若い人は年寄りの田んぼを耕します。そして、原始林を大事する習慣もあります。今の茂県の近くのところにはまだ現地の人々に神様の原始林と呼ばれている山があります。
羌族は自分の独特な文化と素晴らしい文化を持っています。最も影響がある作品は「羌族とゴージ人の戦い」と言う詩です。この詩では羌族の祖先が北西から今の岷江の近くに引越ししてきた途中で色々な難しい事を勝ち取って結局ここに定住してきたと言う歴史を述べています。もう一つ人々に知られているのは天の神様の娘であるムジエズウと羌族の青年ドオアンズウの恋物語です。この二人が天の神様の命令に背い、親の婚姻の請負に反抗して、自由の幸せを求める勇気は後世の人々に深く感動させます。ムジエズとウドオアンズウは伝説中の人物ですが、羌族の人々に崇拝されている祖先です。
羌族の人は大自然に親しんでいて、よく大自然の物に取材して刺繍のものを作ります。その作品は模様が本物ごとく生き生きして、色彩の豊富で、物凄く素晴らしいです。
静かな夜、草原を歩いたら、遠くから何かを訴えよう、悲しい羌族の笛の曲が流れてきて、あなたの心はきっとその美しい夜景に酔っているでしょう。
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